【話す機会を逃したシリーズ】中田氏のYouTube大学炎上について

 少し前の話になるが、中田敦彦氏のYouTube大学が炎上したときの話をしようと思う。


 話の発端は、中田氏のYouTubeチャンネル「中田敦彦YouTube大学」において、氏が教養の一環として高校レベルの知識を教える、という形式の動画を投稿したが、その内容があまりにもお粗末だったために専門家から突っ込みが入った、というものだ。実際「宗教は一神教多神教に分かれる」(じゃあ仏教は何なんだ)とか、「イスラム教はスンニ派シーア派に分かれる」(イバード派という宗派もある)とか、酷いものでは「ムスタファ・ケマル」を「ムスタファ・タマル」と人名を間違えたりもしていた。これがどれくらい酷いかと言うと、「塩素の元素記号はCr」と言うくらいとでも言えばいいだろうか。こういうものが一動画あたり数十個も見つかる有様であり、これが歴史クラスタと専門家の目に留まってボコボコにされたという話である。

 ここで止まればただの炎上だったのだが、中田氏のファンが「文句を言うなら自分で動画を上げればいい」「無料で知識を提供している分中田氏が偉い」といった発言をしたことで炎上し、ここに実利主義者(起業家やフリーランスといった身分の方々が多かったように見えた)の「間違っていてもいい、自分が何を得るかが大事」という意見、果ては「歴史に確実なものはない」といった暴論すらも飛んできて地獄となった。

 さて、この件は歴史クラスタ全体を巻き込んだ騒動となった。というのも、これを一概に悪いとは言い切れないのである。
 というのも、その動画は「知名度のある人」が「わかりやすく」「面白く」出来ていたからである。そして何よりも、このような性質の動画は今まで存在していなかった。いわば「空白の地帯」であったところに進出し、大成功を収めたという構図である。中田氏が慶應大学出身ということも動画の説得力を増していた。しかし動画自体の出来は不十分な部分が多い_有り体に言えば「デマに近い内容」であった。だからこそ困るのである。
 (実際は世界死bot氏のこのツイート群(https://twitter.com/ToOutliveToBe/status/1215998559742332928?s=19)が発端となり、反響を呼んだ。)

 このツイート自体も賛否両論であったが、概ねこのツイートの意図、すなわち「功罪両面を見るべき」ということを正しく読み取っていた人は賛同し、「世界死botは中田氏に賛成/反対している」と読み取った人は否定的だったように見えた。ここは個人主観的ではあるが。

 この件について私の見解を述べておきたい。つまりここからは(ここからも)私の主観である。私は「否定派」だ。


 そもそも、何故中田氏が進出する余地があったのか?という話をしよう。その理由は簡単で、「誰もやりたがらなかったから」だ。というのも、今回のように間違った部分があれば全方位から糾弾される状況が目に見えていたからである。
 これは概ねアカデミックな界隈や強さの権威付けに研究が要求される界隈に起こる事だが、「自分より強い人に批判されることは御法度」なのだ。(学会の中では別として)動画作成者自体は素人であり、プロの目から見て間違っていることを指摘されるのを恐れている。また、「間違いの数だけ自分の動画の価値が下がる」という価値観が蔓延しており(これ自体は悪いことではないが)、労力に対する対価が見合わない(面倒くさい)からであった。勿論個人がある小さな分野の解説を出すといったことはあったが、自己満足の域を出ない。(当然商業的なものではなかった) 
 
 しかし、自身の知名度によって再生数が担保された中田氏は別だ。いくら間違っても「金になる」し、ささやかな知識欲を満たしたい層には刺さるし、そして炎上してもそれらすらも「金になる」ということである。 YouTubeではアンチもファンも等しく「金になる」。その点においては
中田氏の慧眼は素晴らしいものであったと言わざるを得ない。

 しかし、アカデミズム側からの視点で見てみると、厄介なこと極まりない。間違った歴史認識を多大な影響力で振りまかれると、それは「敗北」に近い。具体的に何が悪いと言われると特別なものはないが、しかし間違った歴史認識を持った人たちがメジャーになったらそれは間違いなく学問の敗北である。そのため修正せざるを得ない。しかし、その類のものは無限に湧いてくる。有名なものだと「本能寺の変の黒幕」シリーズだ。学会の学説だと「うっかりやってしまった説」が主流らしいが、本願寺・秀吉・朝廷など、黒幕候補を挙げれば枚挙に暇がない。近所の本屋に行けばその類の本は腐るほど置いてあるだろう。理由は簡単で、「売れるから」「ロマンがある方が人々が好きだから」だ。ボロい商売だとは思うが、ゲリラ戦を強いられる日本史学会では永らく放置されてきた。(最近は呉座勇一先生が奮闘しているが)
 要約すると、「修正しても利はないが、放っておくと困る」ということだ。

 ここで反論をしておこう。「中田氏に学会が情報提供すればいい」「学会が進出すればいい」については、「学会はそれをするところではない」以上である。あちらからオファーを持ち掛けてこない限り、それをする必要はない。
 「学会が知識の提供を怠ってきたツケだ」というのも違う。本屋に行けば研究者が書いた本があるはずだ。至る所で講演は行われているし、それは人々が求める限り手に入る。
 「自分が何を得たかが大事」というのは視聴者の視点である。発信者が開き直ることではあるまい。「歴史に絶対に正しいことはない」も詭弁だ。歴史も科学である。一つ一つ検証をして、暫定の「正しい」ことを積み重ねていくものだ。

 詰まるところ、私は「中田氏は動画に責任を持ち発信すべきである」と言わざるを得ない。インフルエンサーたる責任を持って配信していただくしかない。

 

 ・・・のだが、困ったことに中田氏にはそれをするメリットが無いのだ。手間が増えるだけだ。炎上はデメリットにもならないし、中田氏を批判する層は元々動画を見ない。
 こうなる理由として、「動画に責任を負わない」というものがある。ニュースと違って法的に罰せられはしない。責任自体はあるかもしれないが、放り投げても損がない。
アカデミズムの敗北は、最初から決まっていたことだろうか。
 
 このようなYouTubeといった無料の動画は、「知識はタダで手に入る」と思い込む層を生み出したのだろうか。知識の富める者は正しい知識の得かたを知っているためにますます富み、貧しいものは間違った情報も鵜呑みにする、このような構造が出来ているのだろうか。リテラシー能力の格差からの知識ヒエラルキーが解消されることは無いだろうと思い、やはりこういう残酷な現実というものを考えたくもないので、来世は猫になりたいという考えを強めた次第である。
 
 
追記
この事件の指し示すところは、情報弱者は食い物になるということですね。分かりやすく残酷です。抵抗も難しいので皆さん自衛しましょう。