就活日記⑤

前回のあらすじ

考えることが多い

 

 またいくつかの会社にエントリーした。その会社に特に熱意は無い。最初に一番良い会社を見つけてしまったのが運の尽きだった。「これだ!」と来る要素が他社には無い。正直困り果てている。外面を取り繕うことはとても苦手である。本日の御社への熱意が無いと判断されるのは想像に難くない。

 このままいけば無対策に近い状態で本命の二次面接を受けることになるだろうか。そもそも一次面接を突破できると考えているのが驕りである。

 

 就活とはいったいなんだろうか。自分を知ってもらうために本気でプレゼンをする。しかし御社は良いところだけを見せて新卒を引き付ける。周囲は良いところだけを見せて自分を売り込む。

 結局働き甲斐を感じている日本人は6%しかいないのだから、労働の対価に賃金を貰いたいだけの人が大量にいるということになる。そんなことを知りながら、企業はやりがいを求める人材を募集していて、逆に新卒は賃金を得たいと思いながらやる気があるフリをしている。こうしてこの世界に茶番が誕生した。

 考えるだけ無駄だった。とりあえず教育についての考えが少し纏まったので書き出しておく。

 

1.小学生~高校生は人格形成に重要な時期である

2.ワイの経験上、自己が揺らいでる奴は現物(ステータス,政治主張,宗教)に頼りがち

3.ここ10年で受動的なコンテンツは著しく増えた ex.脳死ソシャゲ,Netflix,Youtube,Twitterほか多数

4.さらに、他者と自分を比較する状況が増えた

5.いま、未成年は知識が豊富なだけの脳死人間が増えている→受動的な人間が増えた

6.自己が緩い奴は現物が消えたら不安定になる(アイデンティティの喪失)

7.いまこそ強固な人格形成が必要である

 

ここまでが一般論である。そして、

 

8.ワイは進学校で人格を形成した 何かを本気で打ち込む人が多く、高校3年生の頃にはバケモンばっかりになっていた

9.だからワイは進学校に行ってほしいと思っている

10.ついでに塾に一緒に通っていた人は戦友だし、受験の成功体験もいいよね 一体感はいいぞ

 

よし。

 

あと方法論についても詰めておかないといけない。

a.生徒は先生の一挙手一投足を観察する。

b.従って先生は生徒の手本になる動きをしなければならない。

c.ワイはあまりにも強固な人格を持っている。

d.従って御社はワイを雇うべきである。

 

果たして通るのか。私は通る気がしない。

就活日記④

前回のあらすじ

二度と来るかこんな御社

 

 前回の企業はいろいろ思うところがあった。本日の御社は現地にお邪魔した。

 大阪府は広い。北部は誰もが羨む大都市である。中部あたりからきな臭くなってくる。南部は和歌山である。大阪○○という名前の企業だったが、まさか教室すべてが大阪にあるとは思いもしなかった。おかげで来たことも無い謎の地域に行かなければならなかった。現地の印象は米原駅に近かった。

 結論から言えばここも選考に進まないことを決めた。将来性に不安があったからである。駅徒歩1分の場所に本社があるが、駅前には競合他社が4社あった。その中には某中学受験最大手と某高校受験最大手の名前があった。一応競争する手立てを打とうとはしているが、コロナ禍の煽りを観光業界並みに食らっており、将来性に不安があった。

 

 結局エントリー数は増えなかった。私のフィルターは厳しいらしい。世間の人間は結構広くエントリーしている。それでもしばらくはマイペースを貫くつもりではいる。

 

 そろそろ本命の一次選考について考えなければならない。「あなたの教育についての熱意を語ってください!」。書類は通ったので多少これについて考える時間はあるだろう。

 

教育とはいったい何なのか。

 ①社会の再生産過程に必要な技術伝達過程

 ②強固な存在主体を養うこと

 ③うるせえ。俺がやりたいからやる

 

①について考えてみた。社会を維持するためには技術の継承が必要である。そのために次世代に技術を伝達する必要がある。

薄い。それは公教育の役割であって、私塾でやることとは限らない。

②はどうだろうか。これは公教育では達成できないと考え、私塾でやることも可能である。しかしこの会社の説明会で人格について語られた覚えはない。

③一目は論外に見える。エゴイズム的に、俺の達成感のために教育するというものである。やはり論外であった。

 

 …そもそも、根本的に勉強とは理論上やり得なのである。勉強という観点で見れば、教育とはやり得なことをやっているだけである。その中で、

1.教育の意義を

2.独自性を出しつつ

3.私塾でやることの意味を付加して

理論を組み立てていかないといけない。

 

 むずかしいね。

 

 

就活日記③

前回のあらすじ

お前のエントリー数少なくね?

 

 

 エントリー数を増やすために説明会にお邪魔してきた。やはり塾業界である。「わかるまで教える」をモットーにした中学生~高校生向けの塾である。

 私は基本的に説明会は本社や教室の空気を吸って聞くべきだと思っている。説明会では企業側は当然隠したいことは隠すため、現場でしか知りえない情報というものが必ずあるからである。

 残念なことにオンラインしか無かった。Zoomのために上半身だけスーツに着替えた。毎回思うのだが、説明会に来ているかどうかは一次面接でわかるものであって、いちいちカメラを付けて出席確認をする必要などないのでは無いだろうか。

 さて本日の御社は「人間教育」を重視している。今どきの塾は半分くらい人間性を養うことを標榜している。大手塾の圧倒的な教育の質に対抗するために、気合で捻りだした差別化点というわけでは断じてない。偏差値35~45の生徒を集め、有名公立高や大学に送り出した実績を語りだした。

 結論から言えば私の心象は最悪だった。説明会が終わり次第質問時間をブッチして抜けた。かの会社は私が"最もやってはいけない方法"で成果を上げていたのだ。

 私の思うやってはいけない方法ベスト2は、「大人の権力で圧をかけて勉強させる」「大人の無言の示唆で勉強させる」である。言葉にして言い換えれば、「親御さんが頑張って働いたお金で君たちは塾に通わせてもらっているから勉強しなさい」「(君たちは良い子だから、やるべきことは分かるよね?)勉強するかどうかは君次第だ」ということである。本日の御社は後者の方法で勉強させていた。

 やったな?

 子供は馬鹿ではない。大人の求めることなど言われなくても分かる。大人の求められることをすれば褒められる。そうやって育ってきた人間は最終的にどうなるか?自己が不安定になるのである。何故なら、求められることをやってきて褒められるということを拠り所に生きてきたせいで、自分の存在意義が「求められてきたことをやること」になってしまうのである。

 私は勝手に「条件付きの自己肯定」と呼んでいる。対義語は無条件の自己肯定である。条件付きの自己肯定に陥ると、強固な拠り所を求めるようになる。個人的には、学歴コンプやステータス主義、過激な政治主張に賛同する人はたいていこれではないかと思っている。

 人間性の成長を標榜する塾は、必ずこの点を見ている。やはり子供たちは馬鹿ではない。大人たちに求められて、「自己が確立している人間かのように振る舞う」子供たちが生まれないような教育をしているか、必ず確認する。

 

 本日の御社は二度と見ることはないだろう。

就活日記②

 前回のあらすじ

 ツテ無し職無し資格無し、コミュ障社会の外れ者

 塾業界一本で志望

 

 というわけで3月を迎えた。平均エントリー数は17社だそうだが、自分は我が道を行く4社である。大学の人間は107社エントリーしていた。もし107社全部最終面接まで行ったらどうするつもりなのかは未だに聞けていない。

 さて、一回企業の立場に立って考えてみた。就職市場の本質は情報の非対称性である。企業は10000社以上あるのに、情報収集に使える時間はどんなに頑張っても500~1000時間程度である。そして説明会ではおおよそ2時間程度をかけて自社を紹介しなければならない。一方で、就活生は1200字程度で自分のことを企業に知ってもらう必要があり、当然人生二十数年をそこに圧縮できる訳はない。しかも有名企業は名前だけでエントリーする馬鹿を大勢弾かなければならない。マイナビのエントリーの手続きは2クリックである。ふざけやがってリクルート

 というわけで、人事の目に留まるキラリと光るESを書かなければならない。重要なのは1行目である。テンプレは「私は〇〇をすることに長けている人です。」である。だがこういう書き出しをしても人事は見慣れており、「はぁ、そうですか。」と思われるだけである。「私の生き様は~」のように書き出す。結局、踏み込んで自己開示しなければ、個性というものが見えるわけがない。一企業一企業1文字目から書き、魂を込めて提出した。

 私の長所は地頭と論理的思考力である。しかしこれを書く必要はない。これらの能力は面接で開示することができるからである。その他こまごまとした情報も切り捨てる。ということで「やりぬく力」「努力」を主軸に書いた。「自己の確立」も書きたかったが、残念ながら字数が足りないので面接で開示することにした。

 

 さて昨日最初の面接に出た。どこの企業も一次はZoomである。細かいことは話せないが、面接官はメモをやめて私の話に聞き入ってくれた。ESに書いた内容を具体的に実体験を交えて話し、そこに過大なほどの自信を添えた。最後に長所短所を聞かれ、ESに書かなかった「自己の確立」を満を持して開示した。

 これで通らなかったら自己不信になる出来であった。私はただ続報を待つのみである。

 

 

就活日記①

 遂にやってきた。碌に個性のない人間が歩1枚分以下の僅かな差異を企業に投げつける一大イベント、就活である。近所の大学に流れ着き、一期一会を大事に(行き当たりばったりとも言う)しながら巧妙に社会から逃れてきたが、観念しなければならぬときが来た。

 就活を全く意識していた訳ではない。6月あたりから俄かに就職活動に手を付ける人が増えてきたようにも感じていた。しかし、ゼミや合計32000字のレポートに追われ、結局殆ど手を付けずに終わった。9月ごろに惰性でエントリーした大手食品企業には当然蹴られ、なんとか薄い意識だけは繋いだまま2月を迎えた。

 

 さて実際に2月を迎えた自分の手駒を分析してみた。

 

 先輩0(ゼミは1期生,唯一知っていた先輩にはブロックされた)

 頼れる同級生0(全員理系の院・浪人・留年のいずれか,同学科の人間は頼れず)

 社会経験0 

 資格0

 画像

 

 

無職しか見えない。

 

 なお、「注意欠陥」「誰かの下に付くタイプでもなく、誰かを従えるタイプでもない」という絶望的な社会不適合要素もつけ足しておく。

 

 それとは別に手元にあるものを分析してみる。いわゆる自己分析という奴である。幸いにもこれについては恵まれている。

 小学校の公文では高校過程まで到達し、中学受験を経験している。中高は将棋に打ち込み、全国出場。大学のゼミは賞を獲得している。

 はっきり言って多くの人が羨む経歴であろうと自負している。多分飛車1枚分くらいの主張はできるだろうか。

 

 というわけで手駒と相談した結果、塾業界一本で絞ることに決めた。溢れ出る個性を遺憾なく発揮できる場であり、あまり干渉されず、経歴とも合致している。

 

 ここまでが2月の出来事である。なお、ベンチャー気質の中学生向け塾に受けに行き、理念に共感できなかった結果落ちたこともつけ足しておく。

 

 

 

 

【日記】入学手続きの期限を忘れて浪人しそうになった

まえがき

3/22 4:38

アホすぎて死にたい



 3月21日(土)。後期の発表も終わり、某R大以外の全大学不合格が確定したため、自動的にR大への進学が確定した。
 「明日入学手続きするか~」と軽い気持ちで昼を過ごし、「とりあえず英語のクラス分けテストでも受けるか」と英語のテストを受けて世紀末な結果を出した後、のうのうと晩飯を食い「そういえば大学の飯どうしようかな」と思い、21時頃R大から届いていた生協の冊子を漁っていた。1年先に入学していた知人が「生協の飯は美味い」と言っているので入ることにした。
 が、翌22日に授業料支払いの予定を入れていたのだが、それ以前の問題が発覚した。というのも、入学に必要な書類の期限が17日までとなっており、とっくに過ぎていたのだ。「生協の支払いの準備できたし入学資料でも読むか~」なんて言っている場合ではなかった。
 私はまずTwitterで報告することにした(は?)。次に大量に届いていた駿台の資料を漁った。しばらくすると、「らうにん」というLINEグループからお誘いが来た。ここ以外一校も受かっていないので入学しなければ当然浪人である。私は来年どこ受けるかな~と考えながら心を無にしていた。
 絶望感マシマシ9ヶ月駿台生活を思い描いているところで、TwitterでFF外から一件のリプが来た。

「 今日中にR大にメールを送信し、今日中に立命館に手続き書(住民票など揃っていない場合は遅延書を同封し後日発送)を発送したら大丈夫ですよ。入学出来ます。」(一部略)

 「神がご光臨なされたか・・・?」と藁にもすがる気持ちで話を聞いたところ、救済された前例があるとのこと。というわけで、「アホすぎて期限過ぎてました。どうか許して下さい。(意訳)」という土下座命乞いメールを送り、大急ぎで書類を整えた。ただ住民票が無かったため、23日(月)に市役所へ光の速度で取りに行くことになった。
 時刻は午前1時半、近所の郵便局から速達で遅れます封筒を送った。

 流石にこんなことがあったので、その夜は全く眠れなかった。結局寝ついたのは5時頃だった。

 
 3月22日(日)は11時起床。メールの返信は来ず。相談は土日祝には開いていなかったが、電話の可能性を考え大事をとって家で待機することにした。その影響で高校の部活のボウリングや焼き肉の予定が吹き飛んだ。
 この日に返信は来なかった。この日も5時まで眠れなかった。

 3月23日。8時に叩き起こされる。朝一で市役所へ行き、住民票を確保。帰宅と同時にメールが届く。「今日中に書類を送付し、明日までに授業料を納入して下さい(意訳)」という内容で、即刻 住民票含む書類を全て郵送し、授業料を納入した。ついでに生協の代金も支払った。

 かくして、私の入学手続き失敗浪人未遂事件は終わった。ちなみに、「らうにん」グループへの招待はいつの間にか取り消されていた。





 あとがき(教訓)
 
 書類を書き終わり授業料を納入するまでが受験です。危うく受験を1年延長するところでした。あと何か困ったらTwitterを頼りましょう。



 追記:15分で書き上げた命乞いメールの内容 

 突然のご連絡失礼します。お世話になります。
 今春に入学を予定しております~~です。
 
 このたび、御校の入学手続き要項に記載されておりました、インターネット手続き登録期間締め切り日が3月17日のところを失念しており、現時点で手続きできておりません。
 こちらの不手際で、大変反省しております。
 しかしながら、是非とも入学させていただきたいので、入学許可を頂きたいと思っております。

 つきましては、なにとぞご検討を頂き、指示を仰ぎたくよろしくお願いします。

 (以下略)

「読みやすい」文章の書き方

 最近、私の周りで謎のブログブームが始まった。みな書きたいことは山のようにあるだろうが、上手く表現しきれず、苦戦しているように見える。そこで、書けることが無くなってきた私が、この機に乗じて適当な文章の書き方を伝授して差し上げよう、という魂胆である。(ろくなスキルも無い癖に)参考になれば幸いだ。

 最初に、「読みやすい文章」という誤解を取り去らねばなるまい。読みやすいというのは読む側の視点である。従って、筆者から見れば「読みやすい」ではなく「読ませる」文章だ。ここからは「読ませる」文章の要素を書き連ねてゆく。ちなみに、ほとんどの要素は中高の国語の授業で文章の読解の要素として出てくるものだ。


 まず、当然ながら、「読ませる」文章というのは読ませる要素が無ければならない。だから「ゴール」を設定する。ここがゴールだ、最後に筆者が言いたいのはこういうことだという内容である。そして、ここが全てだが、全ての段落はただゴールを盛り上げるために書かなければならない。無駄な要素は削ぎ落として、読者に目的を見失わせないようにしなければならない。

 積み木のピラミッドの一番上を用意したら、個々の積み木を重ねていく。ここも読者が飽きないように、できるだけ簡潔に積み重ねる。段落あたりの主張は一つ、それ以上でもそれ以下でもない。そう、国語の授業でやった「一段落ごとに要約」だ。筆者は読者がそれをできるように段落を構成する。
 次に、論の展開はできるだけ一方向に進むようにする。これも当然のように見えて、難しいことだ。筆者は、プロットが無い限り行き当たりばったりで書きがちだからだ。だから、慣れないうちはプロットを用意した方がいいかもしれない。当然教科書に採用される文章は、読者がプロットを書けるようになっている。

 個々の積み木の構成要素を見ていく。
 読ませる文章には、「強い言葉」が必要不可欠である。「強い言葉」とは、「断定」である。「~でなければならない」「~だ」「当然ながら」+「である」 など。否定も強い表現になりうる。また、「」で単語を括ることで、単語を「定義」することができる。以降この文章でこの単語はこういう使い方をしますよ、という風に。また、接続詞は多用すべきだ。使わない場合に、逆にこの段落が強調されているというような使い方ができる。
 後は、読点の使い方だ。読点が多いと、読者は、ゆっくり読むことになる。逆に読点がないと読者は一直線に素早く読む。文章の総まとめとなる場所では、読点を減らすことでスピード感が出る。断定と組み合わせることで、この段落が〆だなと思わせることができる。逆に、結論ではない段落では、断定で終わるべきではないということだ。後に説明や展開を込めることで、和らげる効果がある。
 
 ここまで、まるで文章といえば論説文かのように書いてきたが、物語文でも同じことである。物語文であれば、時間の流れ方を文章量や上記の強調の仕方でコントロールする。基本は時間の流れ方が遅い方が重要だ。あと、地の文で「~から」という言葉を使うと、くどくなることが多いのでおすすめしない。


 このようにして、以上の手法を用いて読者を間接的にコントロールしていく。「読ませる」とはそういうことだ。文章は作品である。一つ一つの文章を吟味して、推敲して、そうして最後に構成が整っているかを見て完成する。

 ついでに一つ言っておくと、この書き方はプロパガンダでも使える。特に強調の部分を全面的に使えば、何も知らない人は一発で落ちる。国語の授業ではそういう怪しい文章は取り扱わないが、比較的穏やかな論調に慣れていない人は、怪しい文章に気付かない。国語の授業は穏やかな文章に慣れさせ、次いで文章の論理展開を考えるためにあるのだろうか?

 まあ、こんなところだろうか。他に比喩など色々あるが、とりあえず私が文章を書く上で気をつけているのはこれくらいだ。ちなみに冒頭やここの部分は、読者が入りやすいようにというよりは「筆者は君たち読者のこと見てますよ」アピール欄である。無くてもよい。
 皆さんも、この書き方をブログを書くときや、政敵をプロパガンダで追い落としたいときに使うと良いと思う。ちなみに、今回の文章もこの文章の内容に即して作ってあるので、読解してみると良いかもしれない。
 なんだかんだここまで書いたが、結局は慣れである。沢山書くのが一番だ。