【日記】卒業

 高校を卒業した。

 中高一貫校だったので、6年間、人生の3分の1をそこで過ごしたと言える。中学1年生になったあの日、初めての電車通学で電車が遅延して最後に教室に駆け込み、先生から落ち着いてと言われ、座ってから先生にバッジを付けて貰ったことを思い出した。あの日から約6年、ほんとうに良い級友に恵まれた。

 小学校では、尖った言動や性格でいじめを受けていた。今となっては思い出すこともできないが、私が中学受験をしようと思ったのは、それが理由だったと記憶している。小学校時代のクラスメイトは、最早思い出すことはできない。それほどまでに魅力的だったし、記憶を打ち消すのには十分だった。彼らは寛容だった。私に居場所をくれた。私の話に耳を傾けてくれた。

 学業成績は、お世辞にも良かったとは言えなかった。中学2年の地理のテストでは、自分が学年最下位だったことを偶然知った。それでも全く懲りず、中高通して進級の危機に晒されていた。毎年度末になると、三者面談の封筒が家に届くことに怯えていた。自業自得である。流石に高3になれば勉強せざるを得なくなったが。

 忘れもしない2015年10月2日、中2の校内の文化祭で、将棋部のコーナーで同級生にボコボコにされたのが、一つの転機だったのだろうか。悔しさを胸に将棋部の扉を叩き、およそ半年後にリベンジを果たしたのだが、将棋を通じて知り合った人は数知れない。最初に将棋部に訪れたときは、そこにいた6枚落ちで対局した。当然負けた。相手はなにわづと言ったか。

 高2の文化祭が滅茶苦茶になりかけたりもした。いや、なったのかもしれない。その原因は私だが。この話はまたの機会にしよう。その間はクラスが崩壊し掛かったりもした。この事件は私の今の人格に繋がっている。

 クラスは温かかった。勉強ができない人を蔑まなかった。彼らはやればできるから。私が将棋大会で賞を取ってきたときは、皆で喜んでくれた。クラスの文化祭展示が危ぶまれても、それでも私の居場所はあった。人権と言えば大袈裟かもしれないが、そこに私の人権があったように思えた。

 気付けば6年。毎日学校に通うのは当たり前のことだが、まさか6年皆勤をするとは思わなかった。今日皆勤の賞状を貰い、学校生活の日常の楽しさを再確認し、そして今後二度と訪れないことを実感した。

 卒業するに当たり、クラスはバラバラになる。東大京大、あるいは駿台か、みなそれぞれの行くべき場所に行き、散っていく。私は神戸大学を受けた。クラスには神大受験者は3人しかいない。私も含め、全員受かり同じ大学に進学することを願っている。



 私を受け入れてくれた温かい場所は、今日を以て無くなった。こんなところで嘆いていては、この先何十年どう生きようか。そう思いつつも、溢れ出すものを止めきれなかった。